ぴあのの闘病記録                                         2004.12.15 Write

<1回目〜2回目の手術>

19日に病院に預けられたぴあのは、検査をしながらお腹にたまった水分を少しずつ抜いてもらいました。
ずっと順調に成長していたと思っていたぴあの。
入院時には1.4キロあった体重が、2日後には1.1キロまで減っていました。
そして、手術後にも水分が抜けたのか、850gという体重になってしまいました。


正直、1回目、2回目の手術のとき、自分がどうしていたのか思い出せないのです。
忘れてしまったというのではなく、記憶がそこだけ空白になったような感じです。
(なので、この記録も病院から頂いたカルテを見ながら書いてます)

ただただ毎日、熊パパと夜の12時を過ぎたらほっとしていたのを覚えています。
もしぴあのに何か異変があったら、12時までだったら電話をいただけることになっていました。

夜寝る前に、「今日は大丈夫だったね。」と、
それ以上は何も言わず、就寝するという毎日でした。


毎日朝夕、ぴあのの様子を聞くために電話をしていました。
特にぴあのの容態に変化が無い場合は、
電話口に先生は出られず、受付の方がぴあのの様子を教えてくださいました。
「先生に電話を替わります」と言われる時が一番怖かったです。
1回目の手術の時も、何度かそう言われることがありました。



手術は4時間かかったそうです。
退院時に手術時の画像を見せていただいたのですが、
大きな赤い塊が写っていました。
私はてっきり肝臓だと思い、ぴあのの肝臓って思ったより大きかったんだと思ったのですが、
それが肝動静脈ろうでできた血液の袋でした。
今にも破裂しそうな袋がぴあのの肝臓と脾臓を飲み込んでいました。
本当に一刻の猶予もない状態でした。

初めて知ったのですが、犬の肝臓は6枚に分かれているらしく、
ぴあのは4枚切除しました。
ただでさえ、レントゲンでも確認できないくらい小さかったぴあのの肝臓。
残ったのは未成熟な小さな肝臓2枚だけでした。
(犬の肝臓は1/3正常に動いていたらいいそうです。
ぴあのはそのギリギリです。)

途中、胸水がたまったり、重い貧血の為に輸血をしたりといろいろありましたが、
ぴあの自身は手術後しばらくすると元気が戻り、
電話をかけると遠くの方から、「ぱおーん、ぱおーん」といつもの怪獣泣きが聞こえたりしていました。


1回目は、3週間ほど(4/15)で退院できました。
3月に入院して、夏までに家に帰れたらいいねぇ、と言われていたので、
ぴあのの回復力には私たちも病院の先生方もびっくりされていました。
もちろん全快したわけではありません。
肝動静脈瘻は切除でなくなりましたが、門脈シャントは全て閉じられませんでした。
輸血をしながら、血管に造影剤を入れながらシャントの位置を確かめて閉じていくので、
長時間かかってしまい、それ以上すると麻酔がさめてしまうので、
半分ほどのシャントを閉じて、1回目の手術は終わりました。


これも後で知ったのですが、
最初に診ていただいたかかりつけの先生が岡山の病院まで行ってくださり、
ぴあのの手術に立ち会ってくださっていました。
手術中2度、ぴあのの血圧が機械で測れないくらい下がってしまい、
先生方もあきらめかけた時があったそうです。

そのたびに、血圧がすーーっと上がったそうです。
「あの小さいコがねえ、すごい強いコだよ」と言ってくださいました。
(かかりつけの先生は、その後も岡山の病院と連絡を取り合ってくださり、
ぴあのが家にいるときも、様子が変わったことがあればすぐに対応できるようにしてくださっていました。
本当に感謝です。)


ぴあのは退院時には1キロを切った体重になっていました。
2回目の手術の為、ムリをせず体作りと体重を増やさなくてはいけませんでした。
食事は療養食フード以外に、サツマイモを食べさせてよかったので、
日に4回、少しずつおイモ入りフードを食べさせて体重を元に戻していきました。
1回目の退院後も、2週間に1回検査をし、体重が1.2〜1.3キロになったところで、
2度目の手術をすることになりました。


2回目は、5月10日入院し、13日に手術をしました。

体も1回目よりは大きくなってるし、肝動静脈瘻ももう無いし、最初よりは気分がラクでした。
ですが。
手術2日後の夜、急にぴあのの容態が悪くなり、緊急の開腹手術が行われると
電話がありました。
2回目の手術でもあり、お腹の中をいろいろさわっていたからか、癒着していたそうです。
この時は、朝まで眠れなかったのを覚えています。
早く朝になって、病院へ電話をかけてぴあのの様子を聞きたかった。


緊急手術後は、今回は貧血もなく、2週間ほど(5/28)で退院できました。
ただ、1回目の手術時よりもシャントが増えていて手術時間が長くなり、
今回もシャントは全て閉じられませんでした。

小さな肝臓だけになり、また、シャントを閉じたので血液が行き場を無くし、新たなシャントを作ってしまったようです。
3回目の手術は検査をしながら様子をみて、年内にしたほうがいいかなと言われていました。
でも。
1年に3回も大きな手術。
2回無事に退院できたとはいえ、何度も危ない状態になっていたぴあの。
検査をするたびに悪い結果をみても、なかなか3回目には踏み切られませんでした。


そうこうするうちに年はかわり、2004年夏ごろから、ぴあのに時々アレルギーのような症状がでるようになり、
もしかしたらシャントが原因?と不安になった私と熊パパは、やっと3回目の手術に踏み切ることにしました。※

2004年10月14日、手術の為にぴあの入院。


1回目の手術後、
むくみがとれて小さくなったぴあの。
お洋服がぶかぶかになってしまいました。

1回目の退院後、以前から予約していたワンコOKのコテージに
熊パパ家族みんなで行った時の写真。
ほんとに入院してたの?というくらいに元気になってました。
アリスはやっぱりぴあののことは忘れていました。
だいなは覚えていたのになあ。
ぴあのはどこへでも連れていきました。
ロビンのパピオフにも。
なので、我が家で一番オフ会に参加しているのはぴあのです。
(パピオフにて。かっとびぴあの)


1回目の入院のとき、今でも後悔していることがあります。
それは、ぴあのの容態が落ち着いたので、お見舞いに行った時のこと。

ゲージの中で、点滴チューブがずっとついたままになった状態で、
ぼーーっとしているぴあのを見て、
「ほら、ママだよー会いにきたよー ぴあの、ぴあのー」と呼びかけました。
しばらくしてぴあのはようやく私と熊パパに気が付き、
火がついたように泣き出しました。
後ろ足だけで立ち、チューブがからみそうになるくらいに前足をばたつかせ、
「ここから出して、抱っこして、おうちに帰りたい!!連れて帰って!」
と言っているように聞こえました。

ぴあののことを何もわかっていなかったのです。
ただ、ぴあのの様子を見たかったのと
ママとパパの顔を見れば元気がでるかなと思っていました。

顔を見せても、ぴあのを連れて帰られるわけではない。
毎日でも顔を見せられるならともかく。
すぐに来られるような距離ではない。

そしてチューブをつけているぴあのがあまりにも痛々しくて、
体をなでてやることもできませんでした。
それくらい弱々しかったぴあの。

以来、退院時までお見舞いには絶対に行かないようになりました。
入院して、次にパパとママに会える時は、退院の時。
一緒にお家に帰られる時。

余談 その1
  トイレトレーニング途中で入院したぴあの。
  入退院を繰り返したこともあり、退院後、ぴあのがトイレを覚えるまで1年かかりました。
  今ではロビアリやだいなよりも、きちんとトイレでしてくれるイイコです。

余談 その2
  2回目の手術が終わって大分経った頃。
  「ぴあの、なかなかヒートが来ないねぇ、どうしてだろうねぇ」と熊パパと気を揉んでいて、
  診察の時に先生に「ぴあののヒートがこないのですが・・・」と聞いたら、
  ヒートの出血はぴあのの体には良くないから、1回目の手術の時に避妊手術も一緒にしたとのことでした。
  ちゃんと先生の話を聞きなさいよ〜とだめだめパパ&ママでした(^^*ゞ


※アレルギー症状はシャントが原因で起こったわけではないようです。
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